2005年7月3日(日) -会社で遊ぶ
私は貿易に関する仕事が好きです。
船で運んだり、飛行機だったり。
運ぶものを自分の目で見ることはほとんどないけど
誰かに作られた何かをどこかの国へ輸出する。
物が相手の国に到着するだけでは、相手の手に渡らない。
どんな値段の、どんなものが、
どのくらいこの箱の中に入っているのかを
きちんと書いた書類も箱と共にそろっていないといけない。
その箱を受け取る人間はその代金を払わなければ
その書類を受け取ることができない。
書類を受け取ることができなければ
買ったものと引き換えることができない。
特に食品はこの「もの・かみ・かね」の揃うタイミングが
遅れることで商品としての価値を失ってしまうこともある。
物の動きと紙(書類)の動きとお金の動き。
まるでパズルをしてるみたい。
信用状の記載を確認して、商品を船に乗せて、
書類を確認して、為替の予約を頼んで、入金を確認する。
いつか世界中の国から関税が
なくなる日はくるんだろうか。
世界の通貨が全て統一される日はくるんだろうか。
「そんなの単純すぎてつまらないから今のままでいいよ」
・・なんて思ってしまう 笑
信じない人もいるだろうけど
意味がわからない人もいるだろうけど
私はいつも、どんな仕事をしているときも
パズルをしているみたいに働いています。
「知ること・工夫すること」を「楽しい」と思えるうちは
こんな風に会社で遊んでいたいと思います。
2005年7月6日(水) -お願い
会社の多くの人たちが、
一日中おしゃべりしている気すらする。
男も女も。
コピーをとっていると、真横寄ってきて話しかけられる。
パソコンに真剣に何かを入力してても
やっぱり後ろから「早いねぇ」と。
それをきっかけ(?)にまた話し始める。
ひどいのになると私の横のイスが空いているのをいいことに
座り込んで話し始める。
グチだったり
誰かの文句だったり
いい訳だったり
よくわからないウンチクだったり。
メールを読み上げながら
「できるわけねぇ〜じゃん!」と舞台俳優のように
驚きを表現するのやめて。
「DDPっていうのはさぁ、Delivery Packerじゃん?」とか
超大声で言ってましたけど間違ってますから。
大して忙しくないんだから文句言わずに働きなさいよー。
しゃべってる時間が長くて、タバコをすってる時間が長いから
時間がなくなるんだよ。
頼む、働いてくれ。
2005年7月11日(月) -家族
子供の頃に望んだ「家族」と
大人になってから望む「家族」の違いに呆然。
我が両親は、小さくて子供だった小学生の私と
まるで中学生や高校生を相手にしているかのように
接する人たちだったなぁとふと思い出す。
小学生の子供に「何かひとつ身につけなきゃだめ(職業を)」
・・とことあるごとに言っていた。
それは今から25年以上前の話。
スヌーピーのTシャツも
キティちゃんのついた手提げ袋も
子供らしいピンクの靴も買ってはくれなかった。
ちっとも子供らしくない手作りの洋服を着せ
皮製の筆箱を持たせ
デニムの靴を履かされた。
変わった親だ。
で、結局出来上がったのもずいぶん変わった娘。
やっぱり子供って育てたようにしか
育たないんだよなぁ、たぶん。
「みんなと違う」ということに
居心地の悪さを感じた10代。
もーう、それはそれはつまらなかった。
「みんな何がそんなに楽しいんだろう」って
毎日毎日謎だった 笑
それなのに、ふと気づいたら「みんなと違う」ことを
楽しめる36歳になっていて。
気づけば「みんなと違うほうへ行く」ほうが
むしろ楽しいとすら思っていたりして。
不思議だなあ。おもしろいなぁ。
・・とかいいながら未だに苦手なんだけど>家族
そう言えばサイトを作ったばかりの頃、
「サイト作った。読んでいいよ。」と言ったのに
「何だか、盗み見ているみたいで嫌だから見るのをやめた」
・・・と電話で言われたことを今思い出した。
実の娘だというのに、なぜかちゃんと距離をとりたがる。
血が繋がっているということを武器に
家族ひとりひとりの持つ空間を侵し過ぎることを
極端に嫌がる。本当におもしろい人たち。
家族ってなんだろうなぁ。
もう超永遠のテーマ。
2005年7月17日(日) -高望み
Learn as if you will Live Forever,
Live as if you will Die Tomorrow.
永遠に生きるかのように学び、
明日死ぬかのように生きろ。
「ほぼ日刊イトイ新聞」に書いてあった。
すげーって思った。もうただ単に。
そんな立派な生き方は私にはできないと
とてもよく知っているけど。
2005年7月27日(水) -わたしの願い
会社で毎年恒例のビアパーティがあった。
新入社員が芸をやったりする。
くじ引きで海外旅行だって当たっちゃう。
会社が田舎にあるから、敷地が広いから
会社の敷地内に3−400人集まって屋外のパーティ。
沈んでいく夕日が本当にきれいで
オフィスの窓からもれる明かりが暖かくて
少しずつ紺色に変わっていく空が切なくて
ステージの上で楽しそうに笑う
若い子たちが本当にかわいくて。
たまにはこういうのも悪くないなぁって。
ここにいる私の大切にする人たちが
みんな楽しく幸せに生きていかれますように。
そんな風にお願いしながら
パーティの途中で帰ってきた。
(なんだかんだで大勢の集まりは好きじゃない)
家についたら不在着信。パーティに残っている友達から。
忘れ物をしたのかと思って電話したら
「Uちゃん!フィジー旅行当たったのに
帰っちゃってたから他の人に当たっちゃったよ!」
・・・・・・・・えーーー!(号泣)
2005年7月28日(木) -ちょびめも効果
自分の書いたことすら忘れてしまうから
ときどき「ちょびめも」を読み返したりする。
今読んでたら
>人は自分のためじゃなくて、
>誰かのために生まれてくる
>というのは目からウロコ。
・・・と書いてあるのを発見。
自分で書いて、また自分で読んで
もう一度目からウロコ。
これ誰が言ってたのを聞いて書いたんだっけ?
言ってたのか。書いてあったのか。
それもちょっと怪しい。
印をつけるように刻むように書く。
書かなければ本当に何もかも忘れてしまう。